Q: ゲーテの母親は、幼いゲーテによくおとぎ話を聞かせてやったそうですが、そのとき、「この続きはまた明日」と、わざといいところで話を中断すると、ゲーテは翌日までに必ず自分でも話の続きを考え出したとのことですが、この逸話は誰がどこで言っているのでしょうか?

A: ベッティーナ・フォン・アルニムの『ゲーテとある子供との往復書書簡』(Bettina von Arnim: Goethe's Briefwechsel mit einem Kinde. Bd.2. Berlin, 1835, S.252)にあります。

なお、お尋ねのエピソードの直接の出典は、頭木弘樹編訳『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの話』(飛鳥新社、2014年、p.230)でしょう。そして、そのもとは、高橋義孝・佐藤正樹訳、アルベルト・ビルショフスキ著『ゲーテ ―その生涯 と作品』(岩波書店、1996年)か、渡邊格司訳、アルベルト・ビルショフスキー著『ゲーテ評伝』(上巻、森北書店、1943年)だと考えられます。あるいはこれらからの孫引きということもありえますが、大本はこの2冊だと想定できます。

訳文では、以下のように訳されています。 【高橋訳】 母はこう述べている・・・・お話を中断して、大詰めの場面はあしたの晩のお 楽しみということにすると、まず間違いなくあの子はつぎの日までに話を作りあげてしまっているのです。

【渡邊訳】 また話をやめて、大團圓〔団円〕を翌晩に延ばしたりしますと、きっと話をそれまでには上手に拵へてゐましたねぇ。〔上巻、p.17〕 【原文】 wenn ichi nun Halt machte und die Katastrophe auf den nächsten Abend vershob, so konnte ich sicher sein, daß er bis dahin alles zurecht gerückt hatte [Albert Bielschowsky, Goethe. Sein Leben und seine Werke, vol.1, p.15-16, 1920, München)]

直訳では、<大詰めを明日に延ばしたと き>(wenn...die Katastrophe auf den nächsten Abend verschob)となっています。つまり、厳密には、「続きはまた明日」といった会話体では書いてはいないのです。渡邊訳の会話調は、わかりやすさを重視したアレンジです。

このエピソードは、ビルショフスキーも注で触れているように、ベッティーナ・フォン・アルニムが『ゲーテとある子供 との往復書簡』のなかからの引用です。正確には、Bettina von Arnim: Goethe's Briefwechsel mit einem Kinde. Bd.2. Berlin, 1835, S.252です。

なお、ベッティーナのこの本は、第1巻だけが不十分な形で邦訳(塚越敏訳『わが 恋人ゲーテ』、出版東京、1952、竹内英之助訳『ゲーテとある子供 との往復書簡(1)』、日本評論社、1949)されていますが、問題 の個所のある第2巻の邦訳はありません。

ベッティーナの文章中では、この部分は、ベッティーナがゲーテに1810年11月24日 付で出した手紙ということになっていますが、異論もあります。

ゲーテは、『詩と真実』の執筆にあたり、自分よりも晩年の母をよく知っていたベッティーナに回想を送ってくれるように手紙で依頼しています。その返事がこの文章ということになりますが、『ゲーテとある子供 との往復書簡』のなかの「往復書簡」には、ベッティーナの「創作」がかなり入っていると言われ、「十分に警戒して引用する」のがゲーテ研究の基本だとされています。ちなみに、ベッティーナのこの「手紙」は、ゲーテに宛てた手紙を集めた公式の書簡 集には、載っておりません。

*渡邊訳『』は、昭和18年に上巻が出たが、予定された下巻は出ず、昭和20年に「下ノ一」、昭和21年に「下ノ二」として冨士出版から出た。














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