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ゲーテのファウスト

2018年4月2日(火)~ 6月30日(土)、8月28日(火)~ 12月8日(土)

ゲ―テの『ファウスト』の「天上の序曲」に出てくる「人間は努力するかぎり迷うものだ」という有名な言葉は、ときには、曖昧な態度の正当化のために使われたりもします。しかし、原文は、努力するなら迷ってもいいなどとは言ってはいません。

このシーンでは、主(神)が、ファウストは神に忠実な善人だと言うと、悪魔のメフィストフェレスが、じゃあ、わたしが奴を悪魔の道に引きずり込んでみましょうと主に挑戦します。すると、主は、たしかにファウストも人間だから道を誤ることもあるよね、と含みのある言い方をします。

それは、ファウストは、たとえ誤りを犯しても、かならず善の道にもどってくるだろうということです。ゲーテに先立ってアレグザンダー・ポープが言った「誤るは人間、許すは神」を意識した台詞です。

ファウストは、メフィストフェレスの手を借りて冒険やロマンに賭け、失敗を犯しますが、最後にはその責任を果たします。結果だけみれば、彼の過ちは「迷い」にすぎなかったとも言えます。しかし、問題はそのあとです。

迷いだからと、誤りの結果をうやむやにするのではなく、自分が犯した誤りとしてちゃんと責任を取るのです。誤りが「迷い」にすり替えられると、責任や義務の問題がうやむやになりかねません。

この部分を「迷う」と訳したのは森鷗外で、以後、この訳が定着しました。鷗外以前の訳では、高橋五郎は「躓かざるを得ず」、町井正路は「過失に陥り易い」と訳していました。

多数の『ファウスト』訳をながめながら、翻訳の功罪を考えました。

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【参考】

ドイツ語原文:
Es irrt der Mensch, so lang' er strebt.
Faust, Der Tragödie erster Teil, Z.317

高橋五郎訳(1904年):
寔〔げ〕]に人や奮進〔ふるひすす〕む間は躓〔つまづ〕かざるを得ず。
『ファウスト』前川文榮閣

町井正路訳(1912年):
人間と云うものは慾望の旺んな内は、兎角過失に陥り易いものだ。
『ファウスト』東京堂

森林太郎訳(1913年):
人は務めてゐる間は、迷ふに極まったものだからな。
『ファウスト 第一部』冨山房

Anna Swanwick訳 (1850年):
Man, while he striveth, still is prone to err.

Bayard Taylor訳(1870年):
While Man's desires and aspirations stir, He cannot choose but err.

Albert G. Latham訳 (1902年):
Whilst still man strives, still must he stray.

Theodore Martin訳(1908年):
Man, while his struggle lasts, is prone to stray.

Philip Wayne訳(1941年):
For man must strive, and striving he must err.


【補記】

展示では、「誤り」と「迷い」の問題を主題にはできませんでしたが、上記の資料を見るかぎりでは、森鷗外が、irrtを「迷う」と訳したのは、1902年に出たAlbert G. Latham やTheodore Martinの英訳の影響もあるかもしれません。

ただし、ここにも、言語文化の背景の違いという問題が介在します。英語の"err"やドイツ語の"irren"の語源は英語の"astray"と同根だとのことです。つまり、err、irren、astray、さらにはstrayのあいだには、日本語の「誤り」と「迷い」とのあいだにあるほどのギャップはないのです。

『ファウスト』の「迷い」は、大正ロマンティシズムと手を取り合って、ロマンティックな含意を膨らませたような気がします。そして、ゲーテの原文にはあった「善か悪か」「白か黒か」といったに二者択一と責任決定の姿勢はどこかに消え失せ、日本的な逡巡や迷いや求道の、際限のない不決断の意味に移行したのではないでしょうか? 「人は努力するかぎり迷うものだ」は、完全に原文を離れ、日本独特の意味を帯びるようになりました。

それと、「迷う」と「努力」との組み合わせも誤解のもとだったかもしれません。日本では、いまでも、「努力する」のは美徳とみなされます。しかし、『ファウスト』の「天上の序曲」のなかで「主」が、「努力するかぎり」と言う「努力する」(streben)には、たしかに日本語で美徳とみなされる「真面目な勤勉努力」の意味もありますが、ここでは、立身出世や野心のために努力することを意味します。だから、そのあげく、「誤り」を犯さざるを得ないだろうと言っているのです。

ちなみに、「迷い」に若干の疑問を呈している訳として、柴田翔訳『ファウスト』(講談社)があります。ここでは、問題の個所が、「求めつづけている限り、人間は踏み迷うものだ」と訳されています。「踏み迷う」と「迷う」は大分違います。既存の「迷う」を活かしながら、意味を変えているわけです。「求める」は必ずしも「真面目な努力」とはならない場合もあります。折衷主義とはいえ、ピンとの合った訳なのではないでしょうか?


『ファウスト』から切り離されて「名言」化されている例:

人間は迷ふ、努め励むかぎりは。
奥津彦重訳篇『ゲーテ語録』日本教文社

人間は努力するかぎり、迷うものだ。
木原武一著『ゲーテ一日一言』海竜社

人間は努力しているあいだは、迷うにきまったものだ。
亀井勝一郎著『黄金の言葉』大和書房

人間は努めている間は迷うものだ。
一校舎比較文化研究会編『ゲーテの言葉』永岡書店

人間は、努力をする間は、迷うものだ。
自由国民社編集部編『世界の名文句』自由国民社

人間というものは、努力している間は迷うものだ。
今立鉄雄・雨宮義人著『今日に生きる言葉』今日の問題社

人間は努力するかぎり迷うものである。
手塚富雄著『いきいきと生きよ』講談社


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