ゲ―テの『ファウスト』の本番は、老学者ファウストと悪魔メフィストフェレスとの「契約」から始まります。老いてさえないファウストが、<自分は哲学も法学も医学も、あまつさえ神学まで研究しつくしたつもりだが、いまの自分はなんともなさけない状態か>――と老年特有の「うつ」状態にあるところへ、悪魔メフィストフェレスがあらわれ、<そんなしみったれたことをぶつくさ言っていないで、わたしがあなたの好きなことをかなえてあげますよ>と扇動します。ファウストは、最初もったいをつけて抵抗しますが、「賭けた!」と決心し、「悪魔との契約」を取り決めます。
ファウストは、この「契約」によって、若返り、以後、好き放題のことをやるわけですが、その波乱万丈は本作を読んでいただくとして、ここには、ビジネスはもちろん交友関係にも、どこかに言葉による「賭」と「契約」があるという西欧的な慣習の基本が発見できます。
本展示では、『ファウスト』におけるこの「賭」と「契約」の場面の微妙で奥深い含蓄を味わっていただくために、明治以来の代表的な翻訳から、問題の個所をズームアップし、《読む展示》を企画しました。時代と訳者のちがいのなかに、西欧的な「賭」や「契約」に対する解釈の微妙な違いや時代的変化を《読み》とってお楽しみください。