妻クリスティアーネ・ヴルピウス (1765〜1816年)とのあいだに生まれた5人の子どものうち、一人は死産、3人は早期に死に、長男のユリウス・アウグスト・ヴァルター・フォン・ゲーテ(以後「アウグスト」と表記)だけが生き延びましたから、「めぐまれなかった」ということになるかもしれません。
アウグストは、父親の存命中に40歳で天然痘のためにイタリアで客死しましたが、解剖結果では、硬膜下血腫 (Subduralhämatom) があったとのことですので、彼の日頃の様子等を総合すると飲酒癖があったことはたしかでしょう。
ただ、「ダメ息子」であったかどうかは、「ダメ」の基準次第ではないでしょうか? 親子関係は、歴史的に形づくられたイメージで判断され、現代ではテレビが生み出した基準が強力ですから、日本のそうした基準からするとおっしゃる通りになるかもしれません。
ゲーテと息子のアウグストとの関係については、あまりにデータが欠けています。伝聞や噂だけで判断するのは、アウグストに気の毒でしょう。ワインを飲みまくって肝硬変になったとしても、それで「ダメな人生」とは断定できません。これまでのところ、アウグストをダメ息子とする基準が単純すぎます。
さいわい、1999年、ゲーテ生誕250周年の機に、アウグストの最晩年の日記と父への手紙が公刊されました。なんと、書かれてから169年後です。本書(Auf einer Reise nach Süden: Tagebuch 1830. Erstdruck nach den Handschriften, Hrsg. : Andreas Beyer, Gabriele Radecke) は、2001年に邦訳され、法政大学出版局から出版されています。
もう一人のゲーテ―アウグストの旅日記、藤代幸一、石川康子 訳
詳細な「訳者解説」には、邦題の由来について、「もう一人のゲーテとは、余りにも偉大な父親をもつという悲劇的な運命を背負った子供の典型ともいうべきアウグスト・フォン・ゲーテである」とありますが、本書からは、そうした歴史的に定着した典型的なイメージとはうらはらの側面も読み取れるかもしれません。
「モンスター親父」(Monsterelter) と、その「影で」生きる「弱い」息子というイメージとはうらはらに、けっこう日々の人生(とりわけ飲食)を楽しんだのではないか、日記と手紙は、イタリア旅行の旅費と機会をあたえてくれた父親への「報告書」にすぎないのではないか、といった憶測も生まれ、本書のページの半分を占める「付録」を合わせて読むと、なかなか読み応えがあります。
逆に、こうした資料の方から、ゲーテを解釈しなおす必要もあるでしょう。ただし、いまのところは、依然として、シュテファン・オズヴァルトの『父親の影のもとで:アウグスト・フォン・ゲーテ』( Stephan Oswald: Im Schatten des Vaters: August von Goethe, 2023, Beck C. H .) のタイトルが示唆するような解釈が定番になっています。
東京ゲーテ記念館 資料室