今月のゲーテQ&A/東京ゲーテ記念館

Q: 「ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ」を言ったのは斎藤緑雨だという説に関してはすでに回答されていますが、何かすっきりしません、結局のところ誰がそう言ったのですか?


A:

ご指摘のQ&Aから大分年月がたちましたので、経緯をまとめておきます。
この質問に関しては、ペリカン書房店主・品川力(つとむ)氏が『越後タイムス』(1953年12月13日号→PDF)に書いたことにつきています。
品川氏は、当館の文献収集の重要な貢献者ですが、そのエッセイ「二十九人のゴッホ 四十五人のゲーテ」(上)は、氏が「ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ」に行き当たった課程を詳述しています。

まず、品川氏は、「芥川龍之介の親友で芥川の著書の校正などをよくやり校正の神様とまで云われた神代種亮がゲーテのよび名を二十九種上げて、東京朝日新聞に書いたことを何かで知った」。
「この春〔1953年〕朝日の厚生部に清田次長を訪ね、調査部に案内してもらった・・・。」しかし、このときはわからず、その後、「あれこれと文献をひっっくりかえしてみると、昭和五年三月一八日「ヨーロッパ語の音訳」と題して神代氏がかかれたことがハッキリとわかった・・・。」

今日では、有料ですが、朝日新聞社のデータベースで、当該の記事を参照することができますが、これで問題解決とは行きません。
というのは、《「ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ」と皮肉つた斎藤緑雨》という表現だけでは、緑雨がどこでそう書いているのか、あるいはそのように緑雨が言ったのを神代が直接ないしは間接に聞いたのか、がわからないからです。

すでに古いQ&Aで指摘したように、「ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ」という文章は、既存の『斎藤緑雨全集』全8巻(筑摩書房)のなかにも、また他の著作のなかにも見つかりません。
緑雨には、写本だけで伝わっている文章もあるようなので、どこかにあるのかもしれませんが、当面、不明です。

もうひとつの問題は、東京朝日新聞が伝える「ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ」の「ギヨーテ」は、「校正の神様」が書いたのだから、まちがいはないでしょうが、品川氏の『古書巡礼』(青英舎、1982年→PDF)によると、森鴎外、坪内逍遥、北村透谷、夏目漱石らの常套表記だったようです。その意味では、もし問題の表現が緑雨の「皮肉」だとすると、皮肉る相手として不足はないでしょう。

というわけで、またしても、とりとめのない答えに陥ってしまいました。どうやら、「ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ」についての質問は、魔問のようです。

東京ゲーテ記念館 資料室