Q:  ゲーテは偉大な人だといわれていますが、本当なんでしょうか?

A1: 一人の人間が「偉大」かどうかは、その人をどういう角度から見るか次第だと思いますが、ゲーテが日本で特別に「偉大」化されていることは事実です。明治以後の日本の「近代化」のなかで、教育面でゲーテが「西欧文化」の「偉人」として特別視されてきたことは事実です。詳しくは、別項の「ゲーテが神聖化されるまで」という年表を参照してください。

 

A2: 当館員がこんな意見を出してくれました――
 「偉人」というのは、つくられた虚像です。世間で「よい」とか「すばらしい」とかいわれる面だけをとりあげて、ほめあげますが、偉人も人間です。両面あるわけです。失敗したほうから見れば、ゲーテだってダメ人間だったところはあるでしょう。
 天性の才能や運もありましたが、たまたま成功した部分がとりあげられて「偉いひと」になった部分もあります。
周到な自伝を書いたり、エッカーマンのような純朴な弟子を見つけ、対話録を記録させるとか、抜け目ないメディア対策も怠りませんでした。出版契約にも厳しかったようです。海賊版が出回っているのを気にして、みずから「著作集」を編纂したりもしました。
 若いときは、遊びまくっていて、ずいぶん親を心配させたようです。だから、25歳のとき、『若きヴェルテルの悩み』がベストセラーになったときは、父親はほっとしたようです。父親は超教育パパでしたから、「シュトルム・ウント・ドランク」(「疾風怒涛」)の波に乗って、いわば「パンク青年」みたいな生活を送っていた息子の行く末を心配していました。
 『若きヴェルテルの悩み』の成功のために、若きゲーテは、ヴァイマル公国のカール・アウグスト皇太子の賢母アンナ・アマーリアの目にとまり、最初は皇太子の家庭教師のような役割でヴァイマルに呼ばれました。彼は、年令も近いアウグストとウマが合い、若い女性をハントするようなことも一緒にやりました。
 「女にだらしがない」という意見もありますが、「だらしがない」というより、女性が自分の能力や才能を引き出してくれるということを信じていたのでしょう。「女性的なるもの」についてうたった深淵な詩文もありますが、要するに一生涯女という生き物が好きだったのです。
 セックスに関しても、別に聖人君子であったわけではなく、彼のセックスコレクション(本、グッズなど)がヴァイマルの文庫に残されています。
 宮仕えであったとしても、自分の興味と関心とひらめきを思い切り自由に広げ、詩や戯曲や散文を書き、さらには、ヴァイマルという都市をヨーロッパでも独特の美しい都市に仕上げたり、とにかく、自分のやりたいことをやりつくしたのですから、「偉大」といえば偉大でしょう。
 むろん、ストレスがなかったわけではなく、夕方以後はワインを欠かさなかったようですし、鬱病にも周期的に苦しんでいました。息子のアウグストはアル中で、ゲーテが80歳のときにイタリアで客死しますが、その悲しみが彼の死を早めたかもしれません。

 

東京ゲーテ記念館